日曜日, 6月 19, 2005

☆楊貴妃の肖像 隠れ観音と昊天妃(こうてんき) 2005




鬼才村山直儀が「楊貴妃」に挑戦した。村山の美的興味は、ついに中国唐代の伝説的美女楊貴妃(719-756)へと向かった。綿密な中国取材を通して描かれたこの新作では、明らかに村山に様式的な変化がみられる。これまで背景について意図的に排除してきた村山だが、今回は全体を非常に装飾的に描いている。金色がふんだんに使われ、鳳凰や小鳥が五線譜の上を跳ねるように配置されている。 カンバスの奥からはふくよかな音楽が聞こえてくる。心地のよい胡弓の響きだ。いったいこの変化はなぜもたらされたのか。

唐代の美人というものは、概ねふくよかな美人である。しかしここで村山は、スレンダーな楊貴妃を描いて、村山特有の固定概念に囚われぬ眼が冴えている。ここには肉感的で妖艶な楊貴妃はいない。理知的でどことなく百済観音の面影にも見える。

村山はこの絵について一言、「現代の観音様を描きたかった」とだけ語った。画の下側を見ると、ベージュ色の雲のようなものが見える。中尊寺蓮をデフォルメしたものだという。中尊寺蓮は、平泉の中尊寺金色堂にある泰衡の首桶の中から発見されて800年ぶりに開花した神秘の蓮だ。

楊貴妃には、源義経と同じく不死伝説がある。何と日本に渡って来たというものだ。山口の萩市には、楊貴妃が流れ着いて、そこで亡くなったという言い伝えが残っている。真意のほどは不明だが、日本に流れ着いた楊貴妃という絶世の美女を日本人が暖かく迎えその菩提を弔ってきたという話には限りないロマンがある。 新しい村山芸術の展開がここから始まるのだろうか・・・。(佐藤弘弥)


☆義経一ノ谷へ(馬上の閃き) 2005



運命の時は刻々と迫っていた。須磨の海に陽が昇ってくると、源義経は、日輪に向かい短く祈りを捧げた。次の瞬間、軍神は義経に憑依(ひょうい)し、神となった義経は地を蹴ってたちまち馬上の人となった 。

方々、畏れるな。神仏の加護は我らに有り。あの日輪に向かい、この坂を下るのだ

愛馬は、その叫声に一瞬怯(ひる)んだが、たちまち主の意を酌み目を見開いて嘶(いなな)いた。義経ら70騎の精兵たちは一塊の火の玉となって、一ノ谷の急坂を転がる落ちるように下って行った。 2005年春、鬼才村山直儀は、一ノ谷合戦の奇跡を、義経と愛馬の「人馬一体」の構図に凝縮させた。この新作の画面一杯にみなぎる緊張感とその圧倒的なスピード感は、凄まじいの一語だ。(佐藤弘弥)

☆ニーナ・アナニアシュヴィリの肖像 2001



ニーナ・アナニアシュヴィリの肖像は、村山直儀という孤高の芸術家が、到達した画境を示す傑作である。現代最高のバレリーナ「ニーナ・アナニアシュヴィリ」との出会いを通じ、画家は己の芸術性をかけて彼女の高い精神性をカンバスに描き切ろうとした。その並々ならぬ決意が、この絵の端々から伝わってくる。通常であれば、バレリーナを描く場合、踊っている姿を描きたくなる所だ。それを鬼才、村山直儀は、意識的に舞台に立つ前の静止した上半身だけを描いた。村山は、「ニーナには、神が宿る。ステージに立った瞬間、神は彼女の肉体に入って踊るのだ」と語っている。とすれば画家は、神が舞い降りる一瞬を描いたことになる。こうして20世紀後半を代表するバレリーナ「ニーナ・アナニアシュヴィリ」は、村山直儀の天才によって、永遠のヒロインとしてカンバスに刻印されたのである。(佐藤弘弥)

土曜日, 6月 18, 2005

☆永訣の月 2002



「永訣の月」は、芸術家村山直儀が、2002年春、執念で完成させた渾身の一作。題材は、「源義経」が奥州平泉の衣川の館(高館)で自刃して果てる前夜という設定。煌々と月光が、奥州の大河北上川に照り映えている。義経は、迫り来る運命の時を感じながら、悠然として月明かりに照らされた奥州の山河を眺めている。己の生涯において、為すべきことは為したという強い充足感が、その超然とした表情の中に滲み出ている。実に美しく威厳に満ちた義経像である。義経はもはや傍らの鎧を身に着ける気はない。だがその背後に控える武蔵坊弁慶には、人生最後にして最大の仕事が迫っている。押し寄せてくる敵兵を防いで、主君義経を極楽往生させるという大仕事だ。二人の表情の違いに見える心理的コントラストが実に見事だ。ここに、義経と弁慶という伝説の勇者たちは、村山直儀の芸術によって、800年の時空を越えて、蘇ったのである。(佐藤弘弥)

☆希望 2004



村山直儀 の新作「希望」(若き女優の肖像)は、信じられないほど美しい作品だ。とかく、私たちは、マリリン・モンローを、「セックスシンボル」というイメージで見 がちだ。しかし村山はモンローを若き女神と見る。そしてそのうら若き女神の瞳の中に、「希望」を見い出しているのである。画家村山は昭和11年東京京橋に 生まれた。敗戦後、彼が青春時代を送った昭和20年から30年代にかけて彼はアメリカの文化の虜となった。村山は語る。「ジャズやカントリーや映画など、 アメリカ文化のすべてが美しく希望に満ちあふれていた」と。村山の描くマリリン・モンローは、まさに当時のアメリカそのものである。そしてこの美しき女神 は、第二次大戦後、平和を謳歌しつつあった日本の若者の「希望」でもあった。私はこの村山の「希望」に、画家のノスタルジーと現代アメリカへの強いメッ セージを感じとってしまう。今だ世界は戦争のど真ん中にいる。世界平和への「希望」を抱きつつ、芸術家村山が祈るようにして、この画を描き上げたことを私 は知っている。(佐藤弘弥)

金曜日, 6月 17, 2005

☆藤原清衡の夢 2005



村山直儀の新作「藤原清衡の夢」は、柳の御所趾に最後に一本残ったし だれ桜を救う祈りをもって描かれた作品である。平泉の 柳の御所跡が、初代清衡公の眼というフィルターを通し濃い緑色で幻想的に描かれている。古来から歌に詠まれた北上川と束稲山が観る者に何かを語りかけてく る。その中で、一本のしだれ桜が物憂げに首うなだれている。村山は、「時空を越えた感覚で描いた」とだけ語った。その短い言葉に、村山自身の平泉への深い 愛とやるせない悲しみを感じた。これは人間の身勝手で日々移り変わって行く「平泉の原風景」への鎮魂画とも表すべき作品である。なぜなら、私たちはここに 描かれた柳の御所跡の原風景を、村山のこの画でしか拝めなくなってしまったからだ・・・。(佐藤弘弥)