日曜日, 11月 25, 2007

村山直儀「シンデレラ」の連作 第1作「祈り」

祈り(バレエ「シンデレラ」より)
2006/7 油彩 F10号 53.0×45.5cm


村山の新作を見る。「シンデレラ」の連作だ。

ところで村山からこのようなメッセージが届いた。

ウクライナ、ハリコフ舞踊学校の子供バレエ団が今年も来日した。今回でこのバレエ団の来日は三度目である。数年前に、私は12歳から15歳の子供たちで構成されるバレエ団の演技を目の当たりにして、すっかり虜になってしまっている。

今年の公演は「シンデレラ物語」(プロコフィエフ作曲1945年初演)だった。シンデレラを演ずるのは15歳の若きプリマであったが、私はそのレベルの高さに圧倒された。特にその妖精のような容姿と相まって、完璧なまでの身体能力と舞踏技術は神業ではないかと感心した。舞台全体が彼女の放つ光で美しく輝いているようだった。

私はその感動に任せ、四点の習作を描いた。その際、ハリコフ舞踏学校校長のナタリア・ A・ルジエフスカヤ氏と日本バレエ協会の小林秀穂さんに様々な配慮をいただき感謝したい。出来上がった習作を見ながら、バレエという芸術の奥の深さを改めて痛感した次第である。

2006年8月30日
そこには粗末な下働きの格好をした「シンデレラ」が描かれていて、タイトルは「祈り」としてあった。すぐに私は村山が、何故この連作を仕上げたいと思ったかの意図が呑み込めた気がした。シンデレラの物語は、グリム童話にあるサクセスストーリーである。継母と姉たちに、使用人のようにこき使われ、泥まみれになって働かされながらも、シンデレラは、少しもめげず一生懸命に生きている。シンデレラの心はどこまでも素直でまっすぐである。シンデレラは少しも自身の将来を悲観していない。この考え方が、シンデレラに幸運をもたらすのである。

このプリマの夢見るような健気な横顔から、私はフェルメールの名作「青いターバンの少女」を連想してしまった。白い乙女の二の腕から指先まで青い血管が透けて見えるかのように村山は丁寧に描いている。背景を暗くすることで、少女の祈りが美しく協調されている。やがて少女の純粋無垢な祈りによって実現される幸運の種子は、今か今かと開花する時期を待ち望んでいるのである。(佐藤弘弥記)