月曜日, 11月 30, 2009

本田美奈子メモリアルコンサートにて


村山直儀作「美奈子オンステージ 永遠に輝く」(油彩 80号 2009)


■本田美奈子よ永遠なれ!!
「音楽彩 本田美奈子・メモリアル」と題したコンサートが09年11月22日、日比谷公会堂で開催された。

コンサートの冒頭、本田美奈子の恩人の一人で彼女が提唱した「特定非営利法人 LIVE FOR LIFE美奈子基金」(※注)の理事長を務める作曲家服部克久氏が挨拶に立って会の趣旨と活動について述べた。舞台には、難病に苦しむ人を支援するための「LIVE FOR LIFE美奈子基金」の旗を高く掲げてジャンヌ・ダルクのように立つ美奈子のロゴが飾られていた。

(※注)「特定非営利法人 LIVE FOR LIFE美奈子基金」(問い合わせ:〒 150-0012 東京都渋谷区広尾1-3-17 OHTSUビル3F 電話:03-3473-3758)http://www.live-for-life.org/

この基金では「白血病をはじめとする難病に苦しむ患者さんの支援や啓蒙活動」などを地道に続けて来ている。続いて同基金の理事で作詞家の湯川れい子氏が、本田美奈子の短い生涯について語った。

その後は、同世代の歌手早見優氏の司会によって、宮沢和史、YU-KI、松本伊代、坂本冬美(敬称略)など、本田美奈子を敬愛する音楽家たちが、ほぼ3時間に及び、心を込めた歌声を披露した。



同「アメイジング グレイス」 
(本田美奈子肖像 油彩 キャンバス 50号 2008)


■鬼才村山直儀「本田美奈子」を描く
会場三階では、本田美奈子新作絵画展(画家:村山直儀)と写真展(写真家:秋山正太郎)が開催されていた。特に本田を描いた5枚の新作に目を見張った。日本洋画壇の鬼才村山直儀氏は、彼女の類い希な才能を惜しみ、彼女が生前から発起人となって始めた「LIVE FOR LIFE美奈子基金」の趣旨に賛同し、その上で「本田美奈子の存在のすべてを4枚の作品に凝縮させようと、この2年間没頭した」と熱く語った。その作品は、故人の持つ個性を余すところなく活写している。まさに魂を込めた肖像画であった。

第一の作品は、本田美奈子が「屋根の上のバイオリン弾き」でホーデル役を演じた時の一瞬をキャンバスに描いた作品「美奈子オンステージ 永遠に輝く」(油彩 80号 2009)である。この作品を見た故人の母(工藤美枝子氏)は、涙を浮かべたそうだ。ドレスを着た作品「アメイジング グレイス」 (本田美奈子肖像 油彩 キャンバス 50号 2008)を見た本田美奈子の音楽事務所社長は思わず合掌したとのことだ。筆者は「ミューズの情熱そして誓い」(油彩 キャンバス 20号 2009)と題した青のドレスの作品を一目惚れしてしまった。

その他、オフに自室でテレビでも見ているような作品「ミューズのくつろぎ」((油彩 キャンバス 30号 2009)と「ミューズの微笑」(油彩 キャンパス 4号 2009)という小作品が掲げられていた。

同「ミューズの微笑
(油彩 キャンパス 4号 2009)

■歌い継がれる本田美奈子の「アメイジング グレイス」
本田美奈子は、今から四年前の2005年11月6日、その才能を惜しまれながら、急性骨髄性白血病のため38歳の若さで夭折した。元アイドルとしてスタートした彼女は、徐々に本格的な歌手として脱皮していく。その切っ掛けは、ミュージカル「ミス・サイゴン」との出会いだった。運命的なものを感じた美奈子は、1万5千人を越えるオーディションを難なく突破して、一躍日本のミュージカルシーンを代表する歌姫の一人になった。続き1992年には、「屋根の上のバイ オリン弾き」でホーデル役を演じて絶賛を博した。国際的な舞台にも進出するようにもなった。

しかし運命は時に天才に非情に接することがある。2005年1月、突然の体調不良が美奈子を襲う、即入院、病名は急性骨髄性白血病だった。あの女優夏目雅子や俳優渡辺謙、歌舞伎の市川團十郎を襲った血液の難病だ。美奈子は、舞台への復帰を期して懸命の治療を続けた。けっして歌を諦めなかった。復帰後 の夢も語ったという。治療成果も上がり、一度は退院したものの、発病から一年も経たず、惜しまれながら逝ってしまったのである。

彼女が亡くなった時、彼女が無伴奏で歌った賛美歌「アメイジング・グレイス」が流され話題になった。まるで私には自らの短い人生を弔うような歌声に 聞こえた。その純粋な本田美奈子の歌声は、日本の音楽シーンの中で、残響となって響き渡っている。このコンサートの最後でも、無伴奏の染み渡るような歌声 が流れ、出演者と会場全体が、その後に続き大合唱となった。本田美奈子の「思い」は多くの人に支えられ、善意の波紋となって拡がり続けている・・・。