日曜日, 11月 25, 2007
村山直儀「シンデレラ」の連作 第3作「宴」
三作目は「宴」。シンデレラが舞踏会で踊るシーンだ。時の移ろいを忘れ、踊りに興じるシンデレラが、初々しく描かれている。第一作と同じく暗い背景の中 で、第一作とは比べにならないような美しいドレスを身に纏ったシンデレラが足もとに目線を落としながら舞う。この絵でも、背景がシンデレラのテーマである かのように暗いのは何故か。これはシンデレラの高潔な精神性をよく表すための暗喩的作為なのかもしれない。蓮の花は、暗い泥池の水面に信じられないほどに 美しい花をつけるが、村山一流の光の表現法がここにはある。「絵は光の芸術だ。明と暗が 織りなす光をどう描くか。その画法をレンブランドやベラスケスから学んだ」という旨の話を村山から聞いたことを思い出した。
さてシンデレラの物語をグリム童話(初版刊行1812年)の原作から少し吟味してみる。この舞踏会はただの舞踏会ではない。国王が宮殿で主催する饗宴は、 王子の妃捜しの意味合いがあった。王子は国中の若い娘の羨望の的である。若きシンデレラも例外ではない。灰まみれになっていても、何とかこの祭りに参加し たいと継母にお願いをする。継母は余りのシンデレラの熱意に無理難題を言う。姉たちも「あなたにはドレスもないし木の靴しかない。第一踊れないでしょう」 と馬鹿にするのである。シンデレラは、母の墓前で次のような呪文のような言葉を唱えながら祈りを捧げる。
「はしばみちゃん、ぐらぐらうごいて、ゆさゆさうごいて、こがね、しろがね、あたしにおとしてちょうだいな」(岩波文庫「グリム童話」1金田鬼一訳 1979年刊より)
はしばみは「榛」と表記する落葉低木である。雄花と雌花が開花し、果実は「ヘーゼルナッツ」と呼ばれ食される。墓前のはしばみの木は、シンデレラが植えた もので、この木には鳥が来て母の魂の象徴のような存在である。
呪文が終わると、はしばみの木の間から、真っ白な鳩が、金と銀の糸で織ったドレスと美しい刺繍の入った黄金色の靴(ガラスの靴ではない)を落としてくれた のだった。王子はシンデレラを見たとたん恋に落ちる。シンデレラに別の男性が、「踊って」と来るものなら、「彼女はボクのパートナーだから」と言うほど だった。周囲は、あの王子を虜にした美しい娘は誰だろうという話しで持ちきりになる。
現在私たちが知っている「ガラスの靴」と「カボチャの馬車」のイメージで覚えているシンデレラの物語は、ウオルト・ディズニーが1950年に発表したアニ メーションによって一般に知られるようになった。このディズニー版シンデレラの元になったのは、ドイツのグリム兄弟による「シンデレラ」ではなく、フラン スのシャルル・ペロー(1628ー1703)の童話「サンドリヨン」(副題は「小さなガラスの上靴」)である。
ペローの童話では、シンデレラを舞踏会に送る手伝いをしてくれたのは、はしばみの木陰の真っ白い鳥(鳩)ではなく、仙女(妖精)となっている。これがディ ズニー版では、魔法使いのおばあさんとなり、シンデレラの汚れた灰まみれの服を青いドレスに変えて宮殿に送り届けてくれるのである。「ガラスの靴」や「カ ボチャを馬車」もペローの童話から採られている。
舞踏会に行くにあたってで魔法使いのおばあさん(妖精)は、シンデレラに注意を与える。深夜の12時を過ぎると魔法は解けて、服も何もかも元に戻ってしま うというのである。ところがシンデレラは、余りの楽しさに時を間違えてしまう。12時を告げる鐘がなり、慌てて階段を走ったシンデレラは靴の片方を落とし たまま城をあとにして家に戻ったのである。